TYM344 "秘密の質問" (Security Question) [崩壊前]
キャンバスにアクリル 2015
■ブログというのは編集するのは自分だ
とか言ってみてもここで延々と長文を書いていくことで私は多少楽になるから書くのでありそれゆえにとくに編集は必要ないのです。よかった。ここは別に作品じゃないからまったくなにも詰める必要はないんです。さて、たまに聞かれるのですがいい質問なのでここにひとつ書いてみますと、私はモノトーンが「好き」なわけではないです。色に関して好き嫌いでいうと複数の原色がぶつかるようなものが好き。モノトーンというのは私の場合は二値化絵画という様式のよるものであり、じゃあなんでそうなっているのかというのは、ここでは共有しうるように中身を抜いて答えますが、生まれてから今に至るまで変更できない自分(起こったこと)、自分のもつ欲求(起こりうること)やその解析、いま自分がおかれている状況、なぜいまの時代に絵画を選ぶのか、自分の仕事が歴史とどう繋がることができかつどう断絶することができるのか、等々等々等々、そういった場所場所をとおり巡礼(これもまた「行って帰ってくること」)を一度やりきった結果として出る答え、例えばその答えの一つとして二値化があるのであって(二値化以外にもつかっているシステムがあります。またそもそも答えが合っていない可能性も延々にあります、そんな状況でそれをつかってまた出かけなくちゃいけないのですからのんきにはできません)、つまるところ先ず自分以外の人には基本的に関係がないのです、だからこそはじめてつかえるのです。変な言い方だけども当然のことで、他者と関係ないようなものが自分でつくれるからこそ他者に対しての価値がやっと生まれてくる。二値化絵画ということを聞いて不自由そうに感じるかもしれませんが、それは逆で、私にとっては非常に自由なものです。非常に広々とした場所なのです。むしろ好きという感覚のほうがまず簡単に足に絡まって厄介だったりします。「好き」というのは上記で述べたような巡礼のほんの序盤にある何かであって、そのレベルでは危なっかしくて選択できないのです。そんなわけで、モノトーンが好きだからモノトーンということではない。さて、また話が変わりますが、私が自分以外の世界のあらゆる他の誰かの作品を観てなにか考えたりする時は制作とは基本的には動かす部分が異なっていて、他者の作品については、自分がその人であったとしたらこう考えているだろうもしくは自分がその人だったら無意識的にこういう欲望があるであろう、などというものに従ってまず考えたり、美術史は当然例えば音楽史とか戦争史とかなんでもいいんですが他の歴史上にあるものとのアナロジーを探したりしてそれとの比較や違いを用いて考えたりします。とにかく手放しにおもしろいですね。そういう点では美術は手放しにおもしろいと言っていいでしょう。さて、さらにそんなところでなにか発見があったりするとまたおもしろく、そもそも発見というのはもともとの自分の問題との関係で発生する現象でしょうから、制作者としても自分の持っているものと響き合いますので、それはたぶんよいことです、そのよいこととは別に楽なこととかではないですが。
ちなみに二値化絵画というくらいですから、これはもちろん実体的には白い絵の具と黒い絵の具ですが、だからといって白と黒ということではありません。モノトーンってそういうものですよね。この話は今回の話とは違いますからまたいつか。
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