2019年7月14日日曜日

本を読むことについて

TYM344 - 太陽 (Sun) / Acrylic on Canvas / 72.7x72.7cm / 2016 / Photo: Masahiro Iiyama

本はほぼ毎日読んでいます。別に本を読むのが好きとか嫌いとかやれ一年で○○冊読めとかいやいや本読んだって意味ないとかそういう議論とはあんまり興味ないです。まずなによりも個人的な楽しみであり、私としてはとにかく単に毎日自分がそれまで知らなかった情報が入ってきてほしいという感覚があります。へーそうなんだ、いやあ今日生きてて得したなという感じです。「一日一つなにか教えて、そしたら僕も賢くなる」byアンディ・ウォーホルです。

だから別に本じゃなくてもそれができればなんでもよいんですが、でも本はすごい短い時間でも摂取が可能です。しかも安い。文庫なんかだと1000円しない。古本で100円で買ったっていい。知らないことを知るには時間的にも金銭的にもあまりにも効率が良いです。本当に良い本だと(こういうブログみたいな)冗長さとか一切ない。YouTubeもまま見ますけど何かを知るために見る動画なら日本語だったら2倍速で見ます。

さて、読んでいるのは何かを論じたり説明している本ばかりです。小説とか物語っていうのはどうも読めなくて、いつもこれはなぜだかわかりません。たぶん、話の流れは(原則)時間の流れだから、それを読んでる途中で一旦やめるのがちょっと嫌なんだと思います(一気に最後まで一冊読むまとまった時間なんて絶対無いし、もし時間合っても一気に最後まで読まなくちゃと思って本を読んだことがありません)。一方、何かを論じている本は、論の構造だけがあって時間の流れは無いので、ちょっと読んで中断したり時間をおいて再開してもちゃんと頭に入ってきます。ぱっと四次元的に掴むほうが好きみたいです。
ただし、小説をろくに読まないくせに一時期真面目に小説を書こうと思っていたことがあり(いまでも書きたいですけど)、物語の類型とか脚本術とかをせっせと勉強していた時期があって、なんかそういうのは好きみたいです。でもそもそもの書くエネルギーというか原動力っていうのはきっとそういう構造に関する興味とはまた別でしょうね、それが別でありまた一体でもあるっていうのは、自分は作品を作っているからわかります。時期が来たら小説書いてみたいですね。

ひとつ話が戻りますが、小説はいまいち入り込めない私ですが人の自伝は読めることに最近気が付きました。なぜなのかはまだ解析できていません。自伝をつづるその人に興味があるからというのはもちろんあるでしょう。もしかしたら、自伝は本質的には物語ではないのかもしれません。その人の考えや発想やそれに基づく行動が現実とどう反応したかの記録集のようなもので、論と検証という意味では、なにかを論じているような本と同じなのかもしれません。自伝だろうが何かを論じたものだろうが、遠い昔の誰かが今自分の目の前に現れて自分だけになにか教えてくれているわけですからね。いずれにせよすごい贅沢なことです。

TYM344

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